窓際に日誌

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自分のことも含め誰かをバカにしたって何も出てこない、バカだと思う気持ちは大切だね。口には出さずに生きよう。大事なのはなんかに挟まれていろんなに押しつぶされるってところでなんとか潰れたり落ちたりしないことかなあわかんないけど、よしひとまずバカにするのはよしとしてでもそこで考えてみるか、なんで今バカだって思ったんだ?ぼくは自分の感覚をマジで信じてるとことマジで疑ってるとこがあるからこうやって何か断言することしたくなるけど断言するのはほんと怖い。でもどっかで仮止めは必要だと思う、とりあえずこういうことにしようっていう仮止め。これは価値ないかもしんないとかってことは仮止めすらしないほうがいいと思ってるけど、自分の言いたいこと、作品作るときは仮止めがほんと大事なんだって思ってきた。仮止めっていつ取れるか不安ですよね。ここでみんな怖がるんじゃないかなあ。マスキングテープで止めたくらいじゃすぐはがれんね、だからガムテープで止めたくなるし、もっとすごい奴は釘で打つよね。不安なくなると楽っすね。でもどんなになったってボケるまで不安は続くんすよね、どんなに強固に固めて固くなったってそこらじゅう不安の隙間風だらけなんすよね。こうなったら日本家屋。隙間風を塞いで、地震にも耐えうる家を築くんじゃない。壁をぶち抜いて風に晒されるべきすね、べき とか言っちゃうよ深夜だしさ。地震が来たら崩れる家建てろよ。でけえ家いらねえすよ。みんな頭悪いっすよ。ほんの一部アッタマいいなぁって思う人がいるだけで。それだって単に物知りでぼくが物知らずなので頭良く見えちゃってるだけかもしれないけどね、みんなほとんど頭わりぃでしょう。わかりますか、これ、結局バカって言ってない?何もわからないし全て知っているんだな。

とても素敵な絵を描く人がいる。

たくさんいるけど、全員は知らないけど、ぼくは平野淳さんという人を知ってる。とても素敵な絵。ぼくは今自分の絵がどこから始まったのか考えてる。かんがえてるというか、思い出してる。一枚の絵ではなかったと思う。ポケモンの漫画を描いていたのが意識を持って描いていたはじめの絵だと思う。ページの真ん中を横一本線で区切る、上と下に2つ絵を描く。泣いてる顔を描くのが恥ずかしかった。

自分がどこに行くのが自然なのかを見極めるためには、自分のなかをじっとのぞいていることが必要な気がしてる。

昔から絵を描くこと自体には興味がなかったように思う。なんだったんだろう。むかしから醒めた目をしていなくて、目の前にある自分が描いた絵のことよりも、描きながらもっと別のことを感じようとしていたように思う。だから言葉が必要だったのかもしれない。その頃から漫画を見て漫画を描くことはしなかった。ポケモンダンジョンのゲームをやって漫画を描いて、神羅万象チョコのカードを集めて漫画を描いて、電脳コイルを見て漫画を描いていた。でもアラレちゃんだけは読んで描いた。