窓際に日誌

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やっぱりぼくは、人間らしい感情というものが大事だと思う。感情っていくつか種類がありそうだけど、やっぱり人間しか思えないこともある。それって感情をさらけ出すことを良しとしない感情であったりすると思う。

感情と欲の区別がぼくの中でできていないので、ごっちゃになっているけど、とにかくぼくの知ってる範囲で、この人はダメだと思う人は、みんな楽な方へ楽な方へ、気持ち良い方へ気持ち良い方へと流され続けてる。

動物はそう生きていても、しっかりと生きるすべを持っているし、自然の中で生きているから、それは自然なことだと思う。でも人間として生まれてしまった。ぼくは100%動物にはなれない。人間が欲と感情だけに流されてしまっては破滅しかない。僕は半々で生きるしかないと思う。動物であって、人間である。

そんなのわかんないんだもん、自分には難しい、めんどくさい、そんなことを言っていてもだめだ。死ぬ。

そんなのわからない、でも と思うところがなくてはいけないと思う。このほうが楽だ、でも が必要だと思う。みんなが動物的になっていこうとするなら、それは戦争になると思う。嫌いな奴は殴ったり殺したりしてもいいことにもなる。だって嫌いなんだもん。嫌いな奴も無視していいことになる。

自分もどうすることが自然なのかはわからないけど、いろんなことが気にくわないね。一生のうちに好きになった人や嫌いになった人がいて、その人間にぼくはあなたが好きですと言ったり、ぼくはあなたが嫌いだと言ったりしたら、その言ったことの責任がある。いろんな責任の持ち方はあると思うけどぼくは好きだった人を嫌いになるなら一生嫌いでい続けるということ、嫌いな人でもその人のことを一生忘れようとしないこと、大事だと思う。みんなファストファスト言ってんなよ。貧困と遠回りを愛せ。金なんか窓から投げ捨てろ。

もちろん、この気持ちも半々です。

 

知識 とか 知ってる ってある。それに対してよく上とか下とか使われるけど。

実際はそれは違うのじゃないかなと思う。

ものすごい暗闇があって、そこに人間がいる。

一人一人が懐中電灯を持ってる。その懐中電灯で自分の見たいところを照らしてみる。

その照らせる範囲の広さと狭さが、よく言われる上と下なんかな。

みんな照らせる広さも違うし、いる場所も違うから、知っている場所も一人一人みんな違ってくる。

どんなに照らせる懐中電灯でも、大きな暗闇の世界全体を照らしたりはできない。

上には上がいると言って、ネガティブになるのは無意味で、自然に自分の知りたいと思えることをどんどん知って行くほうがいいのかもしれない。

 

 

TAITAI:
 一世を風靡する作品が現れるとかもそうですし、何かのコンテンツの人気に火が点くとかもそうですけど、昔は雑誌から何かが起こることが、結構あったと思うんです。
 ですが、「いまのメディアと呼ばれるものには、そういう力がなくなっているのかな」と感じるところがあって。

鈴木氏:
 それはそういう人たちがメディアを作っているからでしょ(笑)。

TAITAI:
 むむ。なるほど。

 

 

ジブリ鈴木敏夫Pに訊く編集者の極意──「いまのメディアから何も起きないのは、何かを起こしたくない人が作っているから」

鈴木氏:
 「アニメージュ」を作っているときからそうなんだけれど、“人気作を追いかける”というのをやりたくなかったんですよ。だって面倒くさいんだもの。

 最初のうちこそ「『宇宙戦艦ヤマト』がどうした」なんて記事をやっていたんですけれど、ある日、人気作を追いかけているのが莫迦莫迦しくなったんですよ。
 それで編集会議で「編集部で人気作を作ろう」って言ったんです。編集部で人気作を作っちゃえば、それを特集すればいいわけでしょ? それで本当に人気が出たら、楽じゃないですか。