窓際に日誌

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12月25日

すみません、懺悔します。

こんな時間にミルクレープを食べようとしています。

 

ところで私は、誠実で、誠意のある人間になりたいが、なれず、演じ切ることすらできず、実のところは本性最悪最低、もっとも恐れるものは暴力、何事も学びたがっていると見せかけて、実のところは何事も学ぶ気がなく、傲慢で、想像力がないために、どんな人の気持ちも想像できず、経験によってしか何も学ぶことができないが、失敗を恐れるため行動せず、金は際限なく使い、しかし買ったものはすぐに飽き、手に入れた本は9割読めず、口では立派なことを言いたがるが、結局のところ何もわかってもいず、怖気付いて何も行動を起こせずにいる人間です。

 

そんなのみんな同じ気持ちだよとおっしゃる方もおりまするでしょうが、それでは納得がいかないくらいには拗らせてしまっている。私はそんな風にはなりたくなかった、けどなってしまった。なっちゃったならしょうがない!これからどんどんやるべきことをやっていきましょうよ、というポジティブな意見を持つ自分もいます。一方で、もっと具体的なことをおっしゃってください、何ですか、どんどんやるべきことって。ほら、何も思いつかないでしょう、という自分もいます。もう諦めて堕人間としてせいぜい生きて行きましょうという声も上がっています。でも今の所その声に反対する声が圧倒的に多い。苦しい。

 

そういえば、あまり人に話したことがなかったけど、僕はミヒャエル・ハネケ監督が好きだ。尊敬できる人だと思う。

ウィーン大学で心理学と哲学を学んだそう。僕もウィーン大学入っていいかな。全く本気だけど、全く現実味はない話ですね。

尊敬できる人は自分の知ってる中でもたくさんいる。

 

僕はさっき嘘をついたけど、他の多くの人たちもそうであるように、本当は本当に何事も学びたいと自分は思っているに違いない。ただその気持ちに行動が結びついていなかったり、外に出、人と関わる勇気がなかったりして、今の所は無駄としか思えない時間をだらだらと過ごしてしまっている。

近頃ほんとうに痛切に感じるのは、あるとても偉い人の言葉を聞いて、なるほど!とか、うーむ!と思ったとしても、自分はその半分も、いや、実のところ半分以下も、その言葉の意味を感じられていない、頭でわかったとしても、感性の部分でうなずくことができていないんだということ。知らないことが多く、心をうなづかせるセンサーが育っていないためなのか。

それを自覚しないで、尊敬する人の言葉をわかったつもりになって、軽い気持ちで引用したり、自分に適用したりすると、えらく大変なことになるんじゃないかと、つまり、本当の傲慢の塊人間、本性劣悪偽善軽率人間になってしまうのじゃないか、そして自分は、そんなものになりかけているんじゃないかと思って、猛烈に不安になっている。

おそらくこの気持ち、わかる人は多くいるんじゃないかと思う。でも突破できた人は少ない。みんな、どうしたらいいんだ。

 

明後日、僕は新しい仕事の話をしなければいけず、そこに自分で考えた話の筋を三つほど用意して持っていかなくてはいけない。けれど、僕の考える全ては無責任で、描く絵も無責任、考え無し、こんな状態で、どうしてやっていかなくてはいけないんだろう。どうしたらいいと思いますか。