窓際に日誌

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1月4日

僕の周りにいる漫画好き、アニメ好きを自称する読者、ファンはなんだか作品の見方を間違えているようにみえる。詳しいには詳しいけれど、作品を見てわかるものだと思っている 。一体何を言っているのかがわからない作品は良しとされない傾向があるような気がする。

伏線があり、それがちゃんとわかりやすく回収されていることをいい作品の条件の一つとしているよう。けれどこういう人たちに、どういう見方をしたほうがいいと思うか、とかはよくわからない。まだ何が嫌なのかほとんど考えてこなかった。

 

山を見て、怖くて綺麗だと思っても、なんだかは理解できない。よくわからないけど、わかる。でもわからない。感覚を今よりもう少し大事にしたほうがいいのか。絵を見る時、何よりもまず大事なのは目だし、音楽を聴く時、まず大事なのは耳なのだから。小林秀雄の本に書いてあった。

 

ただ、最近僕もよくわからない。意識が感じる感覚にとどまらずに、もっと意識の支配が行き届かない所での感覚で感じていることを、ちゃんと感じとるべきだと思う自分と、自分の感覚すらも信じていいのかわからない、信用していいのかわからない自分もいる。ただ、もし自分の感覚が信じられなくなったら、生きていけなくなるだろうと思ったから、ここでいう感覚は、目で見えるものとか、耳で聞こえるものとか、そういうレベルも含めての。とにかく自分の感覚なしには何もしてゆけないだろうと思ったから、本当は何が正しいのかを考えるには、深いところの感覚を、自分の中に探して行くしか無いだろうと思う。意識で感じることは、生まれてから今までの、刷り込みによるものがほとんどだと思うから、そこには騙されたく無い。これも、感覚を信じて頼る自分と、疑う自分のバランスが重要なのかもしれない。

何か一つに傾くことは、いいことじゃないと思うし、自分の考えが、主義とかイデオロギーとかいうものに変わってしまうことは、自分が気づかないうちに、自分が嫌いな人たちと同じになってしまうことだと思うから。