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自分の描いたものも会議にかけられると思うとゾッとする
10人いて3人が良いって言ってくれるくらいが良いと思うんだけどさ、
ロクでもない奴らが満場一致で良いって言うものって9割くらいはろくなもんじゃないと思うもの。
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もうね 勝ち負けとか、優ってるとか劣ってるとかってところで生きて生きたくないと思ったの。だから他に好きな男ができたって言われてもね、ぼくの方がその人より優ってるとか言いたくなかったよ
人間としてまともな経験をさせてもらえたことに感謝します
大丈夫!ほとんどのみんなは、知らず知らず苦しい演技をしているうちに、ほんとに苦しい気がして来ちゃっただけさ そう気がついたら、あとはすぐに楽しくなるからね
ところで、やっぱりこれはいいものだよ っていうのと、 これはいいのかどうかわからない ってところのはざまでやってくしかないんだよって思ったよ。
いまじぶん、ちょっと熱めの風呂でじりじり煮られて、頭クラクラしてるくらいの感じだけど、やってくしかねぇよどんなにだらだらのそのそしながらでも確実に。
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質問箱のラブレター版みたいなのがあるけど、ラブレターというものがどんどん軽くなっていく気がして...個人的にラブレターには思い入れが少しあるし、でも重ければいいということじゃないけど、軽くなる、というのはやっぱりダメだと思う
〜という気持ちがある。
ということでラブレターを軽くしちゃダメだって呟こうとしたけれど、思いとどまってここに来た。
ただでさえいろんなものが軽くて早い世の中、質量感、スピード感とかいうのはほんとに大事だと思う。ツイッターで言葉で言うのは楽で簡単で早い。けどそれじゃラブレターを軽くしてしまうことと同じんなっちゃうかもじゃん。ここは態度でそう言うほうがいいんだなって。ラブレターとして漫画を描く。なんとも...その手紙を出せるのかもわからない、そもそもかけるのかも怪しい...時間と手間がかかる...めんどくさい...時間と手間がかかるめんどくさいことをやる意味ってなんだ。
大事なことは簡単な方法と面倒な方法があった場合には、無意味と思われることでも面倒な方法の方を、選ぶのがいいんだろう。(本当に無意味だとしても一度は、または時間をあけてもう一度、選んでみること。)
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オリンピックでメダルを取る選手はいい選手なのかもしれない。
歌を作ったり曲を作ったり漫画を描いたりしていて思うことは、賞をとったらその人はえらい人なのかどうかは怪しいということ。人を疑うというよりは、そういうわかりやすいものを疑うほうがいいよねって、当たり前のことを確認した。いまは、そうやって確認しなくちゃ、割と忘れる。賞とかの価値はもう信じてないけど、ほかのところでね。
だれかより勝るとか、劣るとか、そういう価値観とか、競争好きとか、負けず嫌いとか、まだ自分の中にある。こういうものを、当然に当たり前にそんな考え方はもたないほうがいいかもしれないと思えるように、自分を変えていくしかないと思った。